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2006年08月28日

方便

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誰かに贈るためのおやつづくりワークショップ。出来上がりを冷蔵庫に任せるあいだ、プレゼントに添えるカードをつくる。「自分へ」と書いた人も。
自分が子どもだったころのことを思い出しても、とくに大人の方便や躊躇、動揺を感じとっていたように思います。 というか、それらを理屈で覆う大人の態度に敏感だった。

大人の都合からでなく、子どもときちんと向かい合うことができる大人でありたいと思うのですが、それはほんとうに難しい。

その瞬間きちんと向かうことと、「子どものために」「次世代のためによかれと思って」は、同じでしょうか?
「ために」は、大きな愛情のようであり、ひょっとしたら大きなお世話かもしれない。

 

親であることや職業的な役割での責任を問われることが多い昨今ですが、
実際に子どもと向かい合ったとき、どんなふうに接することができるか、大人のありようは、子どもの姿を通して学ばされる気がします。

前にも書いた中高生のための料理体験を、3週にわたって児童館と地域の料理サークルのコラボでおこないました。行政の予算で実現したことです。

最初料理にとまどっていたある男の子に児童館の先生は、「あ、扉がこわれてるなあ。手伝ってよ」
と、別の作業からその場にコミットできるように導いていました。
小さい頃から出入りする機会のある児童館は、子どもたちの日常の中にあるのでしょう。
言葉のかけかた、あいづち。指導にあたるベテランの先生たちの、ひとりひとりの子どもを受けとめて認めて、そっと背中を押しているような様子が印象的でした。

初回、のぞいただけで帰った男子グループが、2回目にはパンを成型するころからやってきて加わり、最終回は来れないと言っていたにもかかわらず塾から直行であらわれ、最後の片づけまで一緒に居ました。
「先生に言われたから仕方なく来てやったよ」と言いつつ、彼らが自分の意志で足を運んでいたことはよくわかりました。


今、実行委員会は、フォーラムのチラシ媒体を鋭意作成中!
出来上がったら、いろんなところにお届けします。
こんなところに配れるよ、という方がおられましたら、実行委員会まで
ご一報ください。お送りさせていただきます。

また9月後半には、子どもをめぐる体験学習の現場、主に関西方面を尋ね歩こうと時間と予算をにらみつつ、目的地を決めているところです。
こちらの進捗状況もまたお知らせします。

投稿者 森川千鶴 : 17:18

2006年08月18日

体験をふりかえる

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かたちからイマジネーションがわくことがある。食べものになんていうことをしてるの!とはこの場合言わなかった。
娘が小学4年のとき、食卓で、総合学習の時間に体験したことを話すのを聴いていたら、ふと涙をこぼしたことがありました。 「あれ?なんか、私、感動してたみたい」と自分の体験をふりかえった子どもに驚きました。

そんな感受性にふれたことで、「体験すること」だけでなく、
体験したことを意識化したり表現したりするプロセスも大事なのだなぁ、
と思いました。

 

とくに、教育の場面で行われる体験学習については、ふりかえりなどを通じて、
どんなふうに学びに結び付けているプログラムなのか?をみていきたい、と伝えたとき、実行委員会ではこんな議論につながりました。

 なぜ子どもの「ふりかえりを通じた学び」を重視する?
 対象年齢が低くなればなるほど、「ふりかえらせる」ことに違和感がある。
 感じている自分を流さない、実感をないがしろにしないことは、
 何歳でも大事なことだと思うけど、「学び」の重視は、ある意味で生産性
 重視に近いかも。

 子どものワークショップ的体験を通じた学びにおいて、「ふりかえり」は
 かならずしも意識的なものには限らないと思う。

 体験を通じて学びがどういう風に子どもの体と心にしみていくか、
 その「しみていく」ことを待ったり、じっと想像したり(学びを提供、
 サポートする大人が)そういう間合いというか、ころあいを意識できるか、
 ということや、体験して、そのときはそれだけで通りすぎても、次にそれに
 関係することがあって、こころが「つん」とするときのことを思って体験を
 提供できることが大事なのかな。


この夏も子どもたちは、初めて体験することや、夏が来ることで体験することに
出会っていることでしょう。
イベントと日常の間にあるもの。それが気にかかっていることなのですが、
たった1日の濃密な自然体験でも、脳はきちんとそのシグナルを受け取ってくれるのだそうです。

「体験」が感受性をよびさましたのか、ふりかえったから体験を意識できたのか、またそれをいつ、誰が(もしくは自分で)やるのか?にはさまざまな機会があるとして、体験を提供する立場の人と子どもの間だけで起こることではない気がしています。

投稿者 森川千鶴 : 03:23

2006年08月10日

その場に居合わせること

実行委員会の活動ではないのですが。。。
昨日、地域の児童館との共同企画で、中高生たちと一緒におやつを作って食べながら話す、
という場を作りました。

中3からボランティア、児童館のスタッフと地域のおばさん(私含む)の12人。
できあがったおやつを食べながら、それぞれの「今、関心があること」
を聴きあいました。

印象深かったのは、ボランティアで訪れていた20代前半の大学院生。
「大人がどんなことを考えているかを聴けたのがとても新鮮だった。
 親はわずらわしいばかりで。。。」
それに対し、
「いくつになっても親はそんなものよ!この年になっても干渉されるもの」
と、おばさんたちは温かく一刀両断。

遠い国への旅の思い出を話す大人。黙って聴いている高校生。

こんな場のふとした出会いや何気ない会話が、どんなふうにしみていくのか、
それはすぐにはわからないけれど、私にとっては、思いがけずゆったりとした
いい時間でした。


さて、実行委員会には、さっそく子どものワークショップをめぐる
いくつかの情報が寄せられています。

 

投稿者 森川千鶴 : 03:11

2006年08月08日

子どもの体験と学び

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放課後、石を磨くのに夢中になっている子どもたち。遊びの中から生まれる学び。
夏休み。あちこちで体験塾的なものが開かれている。 子どもをめぐる環境をみていると、大人によって「子どもの体験」をつくり出すことが目的化された場に出会うことがとても多いように思う。

「体験を通した学び」を目的とする場と、「ある方向づけのために用意される体験」とは全く異なるもの。
子どもの体験的な学びがこれほどクローズアップされるのは、子どもの問題ではなくて、大人の問題なのかもしれない。

地域社会での人とのかかわりが難しくなっているという。それでも、まだ大人は自分で環境を選ぶこともできるだろう。でも子どもは、自分では選べない。
まず、親の考えや出会う先生など、人間環境に大きく影響を受けるのだということを、大人はどれほど意識しているだろう?

ということを考えながら、誰かを責めたり憂えたりしたいわけじゃなく、
こんな素敵なことをしている大人がいる!といういろんな人に出会いたくて、
実行委員会は、子どもフォーラムプロジェクトを始めました。

全国フォーラムに向けて準備しながら、出会っていく場面や人、場などを
お伝えしていきます。

 

投稿者 森川千鶴 : 19:28

 
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