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2006年08月18日
体験をふりかえる

かたちからイマジネーションがわくことがある。食べものになんていうことをしてるの!とはこの場合言わなかった。
そんな感受性にふれたことで、「体験すること」だけでなく、
体験したことを意識化したり表現したりするプロセスも大事なのだなぁ、
と思いました。
とくに、教育の場面で行われる体験学習については、ふりかえりなどを通じて、
どんなふうに学びに結び付けているプログラムなのか?をみていきたい、と伝えたとき、実行委員会ではこんな議論につながりました。
なぜ子どもの「ふりかえりを通じた学び」を重視する?
対象年齢が低くなればなるほど、「ふりかえらせる」ことに違和感がある。
感じている自分を流さない、実感をないがしろにしないことは、
何歳でも大事なことだと思うけど、「学び」の重視は、ある意味で生産性
重視に近いかも。
子どものワークショップ的体験を通じた学びにおいて、「ふりかえり」は
かならずしも意識的なものには限らないと思う。
体験を通じて学びがどういう風に子どもの体と心にしみていくか、
その「しみていく」ことを待ったり、じっと想像したり(学びを提供、
サポートする大人が)そういう間合いというか、ころあいを意識できるか、
ということや、体験して、そのときはそれだけで通りすぎても、次にそれに
関係することがあって、こころが「つん」とするときのことを思って体験を
提供できることが大事なのかな。
この夏も子どもたちは、初めて体験することや、夏が来ることで体験することに
出会っていることでしょう。
イベントと日常の間にあるもの。それが気にかかっていることなのですが、
たった1日の濃密な自然体験でも、脳はきちんとそのシグナルを受け取ってくれるのだそうです。
「体験」が感受性をよびさましたのか、ふりかえったから体験を意識できたのか、またそれをいつ、誰が(もしくは自分で)やるのか?にはさまざまな機会があるとして、体験を提供する立場の人と子どもの間だけで起こることではない気がしています。
投稿者 森川千鶴 : 2006年08月18日 03:23